貸しと借り-七話-



 祭まで、後一週間だった。セヴィが、ここに来て約三週間が経つ。
 空は曇っていた。西の方から不穏な空気を感じてシグはゆっくりと目を開く。
 その視界の先で、セヴィは水を片手にリンゴを食べている。シグの目覚めに気づいたのか、青い瞳がリンゴからシグへと向かう。
 正直、変な気分だった。三週間前まで一人で暮らしていたのに、今ではセヴィがいる事が、当然のような気さえする。
 いなくなったらどうなるんだろう、と漠然と思う。
「起きたのか」
「起きちゃ悪いかよ」
「誰もそんなことは言ってない」
 そんなことはわかっている。セヴィの性格はとっつきにくいが、三週間近く一緒にいれば、わかる。しかし、だ。
「アンタのその不機嫌そうな面が悪い。なんか文句言われてる気分になる」
「これは地顔だ」
 すげなく返されて、シグは脱力する。それがもっともである事は、わかっている。不機嫌ではないのだが、常に眉間に皺がよっている。彼が言うところの地顔なのだろう。
「もうちょっと笑えないのかよ」
 セヴィの無表情は、はっきり言って怖い。本当に彼が怒っている時は無表情だ。笑顔は、見惚れるほどなのだがあまり笑わない。
 なんとなく、もったいない気がする。
「なんだ、俺がいつも笑ってい不気味だろう」
「……確かに」
 常に微笑んでいるセヴィを頭の中で思い浮かべ、気分が悪くなる。
「同意されると、それはそれで腹立たしいな」
 睨まれて、シグは口を噤む。何か理不尽なものしか感じないが、今反論したら間違いなく殴られるだろう。
「……それより、今日は天気が悪いから、一日中寝ているのではなかったのか」
 そういえば、起き抜けにそんな事を言ってすぐ眠りについたのだ。
 さっきの嫌な感覚は、まだある。
「なんか、嫌な感じする」
 小さな声で呟くと、興味を失ったようにセヴィは水を飲む。
「またそれか……領主の追っ手が来るのかもな」
「不吉な事言うなよ!」
「最初に言い出したのはお前だろう。それに、いつか来ることはわかっている」
 まるで他人事のような言い方だ。ティアにまでカリアムの私兵が来た時はセヴィを引き渡す。これは、最初にメクに言われ、セヴィもシグも納得した事だ。
「……外が騒がしい」
 言いながらセヴィは立ち上がると、シグは弾かれたように顔を上げる。
「駄目だ、行ったらアンタは捕まる」
「約束は、約束だ。違えることはできん」
 何かを訴えるような、セヴィの目がシグを映す。そのまま出て行くと思われたセヴィは、しっかりとシグに向き直る。
「約束は、約束だ。違えることはできん」
 もう一度、言い聞かせるようにセヴィが呟く。
「だったら俺も同罪だ!あんたをティアに匿って……」
 ここぞとばかりに言い募る。何故でていかないのか、という疑問はおいておいて、とにかくセヴィがいなくなるのは嫌なのだ。
 しっかりとセヴィの服を掴むと、彼は困ったように、視線をさまよわせる。
「ありがとう、でもさよならだ。お前が思っているほど、俺は綺麗な人間ではない」
「セヴィ!」
 初めて彼の名前を呼ぶと、セヴィは少し嬉しそうに微笑む。
 シグの首に、セヴィ手刀が落とされる。それは一瞬の事で、その場に崩れ落ちるシグには何が起こったのかまったくわからなかった。
「約束だ。悪いな」
 そう言って、セヴィは外へと向かう。何かを耐えるように握られた拳は、気を失ったシグはもちろん、セヴィすら気づかなかった。

 外へでると、ティアが続々と集まっている。それが、カリアムの兵士と向かい合っている。
 シグのテントから出てきたセヴィに気づいたシェイが手を振る。
「シグは?」
「……そのうち意識を取り戻す。本当にこれでよかったのか」
「いいんだ。シグは、ティアには必要なんだから。私はおちこぼれ。シグの代わりになれるだけでも役に立っている」
 テントの入り口に立つシェイの本心は窺い知れない。セヴィは、テントを一瞥すると、皆が集まっている場所へと向かう。
 カリアムの私兵が二十近くいる。
 たった一人の奴隷におかしなものだと思う。やはりこの祭の裏には何かありそうだ。
 メクは、兵の指揮官らしき人と何か話していた。
「あれが、例の奴隷であろう」
「間違いない。連れて来い」
 五人の屈強な男達がセヴィを押さえつける。手錠を嵌められ、足には重い鉄球がつけられる。見た目が細そうなセヴィはそれだけで身動きが取れないように思える。
「重い。動けんぞ」
 文句を言うとそのまま担がれる。殴り飛ばしてやろうかと思ったが、ここがティアであることを思い出して留まる。
 出るまでは、騒ぎを起こすわけには行かないのだ。迷惑はかけられない。
「この男を連れ出したティアはどこだ」
 シェイはギクリと体をこわばらせる。当の本人といえば意識を失ってテントだ。シグの代わりに、とは自ら選んだ事とはいえ、死を覚悟したようなものだ。
「だから、あの男に騙されたといっておるだろう」
「ならん。いくらティアとはいえ、犯罪は犯罪だ。正当な裁きは謹んで受けろ」
 兵長は、腰の剣に手をかける。出さなければ攻撃を仕掛けるという事だろう。
 メクは諦めたようにため息をつくと、シェイのほうを見やる。シェイも、しっかりと頷く。
「セヴィを連れ出したのは、私だ」
「フン、そいつも連れて行け」
 シェイも大人しく手錠をつけられる。シグはゆっくりと歩み去るカリアムの私兵を睨みつける。
「では行くぞ。本来ならこのような種族は抹殺してしまってもいいのだが、カリアム様が残しておけと仰った。カリアム様に感謝するのだな」
 そう言い残してカリアムの私兵は去っていく。檻に入れられたセヴィと、強制的に歩かされるシェイをつれて。

 シグが目を覚ました時には、もう既にあたりは静まり返っていた。首に痛みを感じて、手を当てると、そういえばセヴィはどうしたのだろうと疑問が起こる。
 名前を呼んで、困ったように笑った。その後首に衝撃を受け意識を失ったのだ。
 慌てて外に飛び出すと、まるで人の気配はない。カリアムの私兵の姿など、影も形もなくなっていた。
「どういう事だ?」
 夕日が沈もうとしている。あれから大分時間が経ったという事だ。
「やっとお目覚めかね。あの男、お前を殺したのではないかと少し心配したぞ」
 急に声をかけられる。メクだ。どうやら、シグのテントの横で待っていたらしい。
 全ての疑問は、メクへと向く。
 何故、シグは何のお咎めもなくここにいるのか、カリアムの私兵はどこへ言ったのか、セヴィは、連れて行かれたのか。
「セヴィは……?」
「あの男は、カリアムの私兵に突き出した。最初から、そういう約束だ」
 やっぱり、とシグは肩を落とす。しかし、それよりも気になることがあった。
 何故意識を失わせるような事をしたのか、シグがいては問題があったのかという事だ。
 彼がセヴィを集落につれてきたことは、言わなければカリアムの私兵にはわからないはずだ。
「メク、俺はセヴィを匿った……何で俺は罪がない?」
「簡単な事よ。ティアには神の眼が必要だ、シェイはカリアムを納得させるためには、しかたのない犠牲だ」
 その言葉で全てを悟る。シェイがもう集落にいないということ、そして、シグの代わりにカリアムに捕らえられた事。
 メクは、何かあるたびに神の眼を持ち出す。それはシグにとっては苦痛以外の何者でもないと言うのに。
「そんな事で納得できるかよ!」
「ならばこう言えばいいのか?シグよりシェイのほうが存在価値が低いから、シェイを犠牲にした、とでも」
 メクの言葉が心に刺さる。澱のように固まっていた思いが、あふれ出る。
 何故自分なのか、生まれた時からの問いかけは、未だに答えの出ぬままにこんな悲劇を生んだのだ。
「……んて、要らなかった」
 わかってはいた。頭では理解している。ティアから誰も出さなければ、カリアムとの関係が悪化し、ティアが滅ぼされるかもしれないのだ。
 それを防ぐために、神の眼をもつシグを出すか、あまり重要ではないシェイを出すか、だ。
 客観的に見れば、メクの判断は正しいのかもしれない。
「神の眼なんて要らなかった!シェイは、シェイは何もしてていないのに!」
「ティアの決定は、シェイを犠牲にする事に決まったのだ。今のカリアムは危険だ、刺激をせんほうがよい」
 諭すようにメクが言う。その言葉に、グッと顔を上げる。引っかかった。引っかかる言葉があった。
「カリアムに、何かあるのか」
 シグの言葉にメクは視線をさまよわせる。
「何かあるんだな。神の眼も、関係するんだろ。俺のことを嫌いなメクが、お気に入りのシェイを犠牲にしてまでティアに留めたのは何だ」
「……」
「言わないなら、俺は勝手にカリアムの所に行く。行ってシェイを取り返す」
「……」
 何も言わないメクに痺れを切らし、シグはあきらめて自分のテントに荷物を取りに行こうと、踵を返す。
「遥か昔ティアルは、この地に魔物を封印したのだ。ティアは、それを監視するためにこの地に住まう」
 メクが重い口を開く。
「魔物?何だよそれ、初耳だぞ」
「当たり前だ。今初めて語るのだからな」
 不機嫌そうな顔も顕わで、メクが言う。
「でも封印なんて、神殿にでもしてあるのか」
「罰当たりが、神聖な所に魔物を封印してどうする!封印があったのは、今のアマラにある祠だ」
 祠、といって思い出すのは旧領主館だ。アマラにティアが住んでいた頃、立派な祠があり、領主館ができた後も祠だけは残っていたらしいが、今では祠は壊れている。
「そう、封印が解けたのだ。解いたのはおそらくカリアム……だが、我らが気づいたのは、お前がアマラを初めて訪れ、戻ったときに言った、西の方から嫌な感じがする、でだ」
「俺の、言葉で?」
「そうだ。お前の神の眼は封じられようと、確かに感じていたのだ。その魔物を」
 そこからは、メクの後悔の言葉が続いた。ティアルの記憶の一部を持つメクは、力のない己を嘆いていた事。魔物の封印が解けたにも拘らず、何もできない事。
「ここは、ティアルと金の乙女が最初に出会った場所。遥か昔は森が広がっていたのだ。そして、この地に魔物ディゾルを封印した。記憶を持てど、気づく事はできぬ。気づいたのは、ほかなぬお前だ」
「俺……?」
 メクは、昔を懐かしむように目を細める。
「そう、お前はわしになついていたからな。幼いころは、森があるなどと言っていた。昔の景色を見たのだろう、神の眼は本物なのだとわしはそのとき初めて確信した」
 昔、そう神の眼によってシグは森を見た事がある。砂漠と森とが交ざったような、不思議な風景だったのだ。
「わしはそのうち嫉妬しはじめた。神の眼を欲した。伝承には続きがあることを、わしだけは知っているからな」
「伝承?」
「神の眼は、神の眼をもつものは、いつの日か金の乙女と旅に出る。そんな伝承だ」
「俺が……」
 呆然と呟く。それは待ち望んでいた事なのに、心の中は浮かばれない。考えておく、といったセヴィのほうがズット気がかりだった。
「だから、お前は無理をしなくていい。お前に死なれては、意味がない」
 メクは何をおいてもシェイを助ける気もなく、シグをアマラに行かせる気もないのはわかった。
「わかった。少し、一人にしてくれ」
「……これが一番よかったんだ。他の手は思いつかなかったんだ」
 それだけぽつりと言ってメクは去っていく。彼女にとっても苦渋の決断だったのはシグにもわかった。
 しかし、シグがここで引き下がると思ったら大間違いだ。
 シグのテントからメクのテントへは、歩いて二十分、シグが走れば三分もしない。
「誰が諦めるかよ」
 メクの家には一際立派な短剣があるのを思い出し、メクのテントへとシグは駆け出した。



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