貸しと借り-三話-



 翌日に青年が目を覚ましたのは、陽も登りきったころだった。窓から差し込む太陽に目を細めつつ、昨日のことをぼんやりと思い出す。
(変な奴に拾われて……それから、宿に連れて行かれて)
 そこまで考えて、青年は慌てて上半身を起こす。彼は罪人で、奴隷で、しかも追われているのだ、のほほんと寝ている場合ではない。
 確かに、あのお節介な少年のおかげで助かりはしたが、これ以上一緒にいると迷惑をかけかねない。隣のベッドを見ると、まだ大の字で寝ている昨日の少年がいた。
 真っ黒な肌に、白髪だ。明るいところでみると、ますますおかしな人間だ。人間と言うより人型の魔物に見える。
(一応命の恩人だからな、迷惑はかけられない)
 早々に立ち去ろうと、足音を忍ばせて歩き出すと床が軋み、予想以上に大きな音がなる。しまったと思いながら振り返れば、少年はその音で目を覚ましたらしく、頭を掻きながら声をかける。
「……もう大丈夫なのか?」
 面倒なことになったとうんざりしながらため息をつく。
 琥珀色の双眸とぶつかる。その虹彩は、人というより寧ろ、爬虫類のものだ。
(蛇みたいだな)
 青年の沈黙に、気にした様子もなく少年―――シグは起き上がる。
「食い物、取っといた。食うだろ?」
 青年は差し出された果物を一瞥し、目の前の少年とその手にあるリンゴを交互に見る。
「……何故、助けた。見ればわかるが金はないぞ」
「目の前で倒れている人間を、放っておけるほど非情じゃない」
「正直迷惑だが、助かった。ありがとう」
 青年は我ながら珍しいとは思ったが、殊勝に礼を言う。疑いは捨てきれないが目の前の少年からは邪気は一切感じられない。それに、言葉に偽りはないように思える。
 シグは青年をマジマジと見つめる。
「アンタ綺麗な顔して性格悪いよな」
 しかし、多少穏やかだった心境も少年の一言によって凍りつく。“綺麗”という形容詞は、容姿にコンプレックスしか持っていない彼の中では地雷なのだ。
 助けてもらったとはいえ、初対面だ。命の恩人だが、今のセリフは別問題だ。
 命の恩人だから、と手加減した拳は、可哀想な少年の腹に入った。とっさに身を引いたが、それでも間に合わなかった少年は、腹を抑えて青年を睨みつける。
「ぐぅ、っ痛ぇ……モロに入っただろ!何すんだよ、いきなり」
「顔のことは言うな。性格は、お前に言われるようなものではない」
「なんだよ、誉めたつもりだぞ」
「俺は嬉しくない」
「綺麗だって思ったんだ、素直に感想口にして何が悪い」
 まだ言うかと、睨みつけると少年も、睨み返してくる。
「ティアだからって殴っていいとか思ってるのかよ」
「ティア?」
 聞きなれない言葉だ。聞き返すと少年はあれ?と首をかしげている。
「アンタ、ティアを知らないのか?」
「知らん」
 少年は頭を掻きながら唸り声を上げる。
「座れよ、食いながら説明する。俺はシグ、アンタは?」
「……セヴィ」
 言われた通りに座り、リンゴにかぶりつく。腹は減っていたのだ。シグも向かいの席に座り、水を飲み始める。水瓶を抱えてがぶ飲みしているその姿は、何ともおかしいものがある。
「アンタ、そとからきたんだろ、しかも最近。来て何日目か知らないけどさ、俺みたいな化け物みたいな奴はみたことないだろ?」
「ああ、そういえばそうだな」
 街の中など観察している暇はなかったが、シグのような容姿のものがいれば嫌でも目立つ。言われてみれば見たことはないような容姿だ。
「ティアは砂漠に住む民で、あんまりアマラに近づかないんだ。今は祭りだから、集落もアマラ近くに移動して、買い出しのために俺が来てんだ」
「ふーん、それで……」
 明らかに奴隷の格好をしたセヴィを見てもそれが何なのか、知るはずがないのだろう。それならば、なおのこと迷惑はかけられない。
「で、アンタは何であんな所に転がってたんだよ」
「……奴隷として連れて来られたんだよ、三日前、いやもう四日前だな」
 奴隷という言葉を、シグは門番のオッサンに昨日確かに聞いたのだが、そんなことは欠片も思い出せずに聞き返す。
 ちょうど宿の外にたくさんの人間の気配を感じてセヴィは眉を顰めた。
「ドレイ?どっかで聞いたな」
「ティアにはない言葉だ、関係ないといいたいところだが……どうやら俺に客らしい」
 セヴィは三つ目のリンゴを手に持ったま、外の見える窓から下を見る。
 数十人の兵士たちが宿を囲んでいるのが見える。あまりいい状況とはいえない。一日寝て、睡眠と食欲は満たしたが、完全とはいえない。
「何かあるのか」
 シグも何があるのかと窓辺から外を見る。当然のように彼の視界にも入る物々しい兵隊を見て、ぽかんとしている。
「巻き込むつもりは無かったんだが」
「はぁ、何がだよ」
「後で説明する。さっきの話の続きになるが。とりあえずここから離れた方がいい」
 セヴィは兵が宿の中に入り、こちらを見ていないのを見計らって窓から身を乗り出し、向かいの建物に飛び移る。
 シグは目を見開いてセヴィの行動を見ていたが、慌てて荷物をまとめると、後を追ってくる。
 隣の屋根からは宿に次々に突入していく兵たちがよく見える。それを見て、シグは言う。
「アンタ、もしかして追われてんのか」
「そうだ、たぶんお前もな」
「俺が?なんもやってないのに」
 心外だ。言わんばかりの口調だ。
「俺を助けただろ、とにかくどこか身を隠せる所に行くぞ」
 シグの状況把握の悪さに、苛立ちながら声を押さえて言うと、シグはムッとした顔でセヴィに詰め寄る。
「連れて行ったら、話してくれんのか?」
「巻き込むつもりは無かったと言っているだろう。巻き込んだからには、理由ぐらい説明する。それは当然の事だ」
「それなら俺に任せとけ、アンタよりはここに詳しいからな」
 そう言うとシグは屋根伝いに移動し始める。身軽なもので、あっという間に小さくなり、早く来いといわんばかりに手を振っている。セヴィもその後を追った。

 シグは唯一知っている、アマラで誰も来ない所へ走る。十字に区切られたアマラは、北に港、南に砂漠へ続く門、東に領主の館があり、西側には昔の領主の館がある。そこは今は誰も使っていない。
 数年前に使われなくなった館とはいえ、やはり綺麗なものだ。
昔はここに、ティアの祠があったのだ。アマラができた頃もまだ祠があったらしいが、壊されたらしく今はない。
 新しい館だって、その祠を壊したせいで、祟りだなんだと言われ造られたのだ。曰くつきの館には今では誰も近づかない。確かにいい感じはしない。
 我が物顔で正面から入る。中は薄暗い。確かに不気味な上、シグにとっては嫌な感じがする。
 セヴィを見ると、平気な顔で埃を被ったソファの上にどっかりと座る。
 綺麗な顔なのに、幻滅するようなことをしてくれるものだと、本人に聞こえたらまた殴られそうなことを思いながら、シグもドアを閉じて向かいのソファに座る。
「で、あれは何なんだよ」
「何といわれてもな……どこから話せばいいのか」
 めんどくさそうにため息をつく。今ごろになって、この男を助けた過去の自分を殴りたくなってくる。本当はセヴィを一発殴ってやりたいのだが、そんな事は怖くてできない。
 腹を一発殴られたが、とっさに下がって威力を軽減したのにも拘らず随分痛かった。
「俺は元々、囚人で」
「シュウジン?」
「……ティアとやらには無い言葉だ。つまりは人を殺して捕まった人間だと思っていい」
 その言葉に、シグは光速でセヴィから離れる。綺麗な顔に反して粗野な人間だとは思っていたが、人を殺しているとは思いもよらない。
「お、俺を殺したっていいこと無いぞ!」
「話しは最後まで聞け、勝手に罪を擦り付けられたんだ。俺は親が他界して、叔母の所に住ませて貰ってたんだ。従姉が叔母を刺して、なんか知らんが俺が殺したことになって」
 彼は呆れたように、ソファの影から顔を出しているシグを見て言う。
「オバとか、イトコって」
「……家族の一種だ」
 家族、つまりはシェイとかメクとかの事だ。シグはシェイがメクを刺すところを想像して眉をしかめる。
「なんか、外の人間ってそんなもんのな?」
「普通はあり得ない様な事だ。しかも俺は無実だぞ。家族を殺すのは罪が重い、俺は十九にして罪人だ」
「じゃあ、アンタは殺してないのか」
「……さっきからそう言っているだろう」
 恐る恐る、シグはソファに座りなおす。セヴィをみると、今度は殺気のこもった目で睨まれる。
(怖い!)
 蛇ににらまれた変える状態だ。蛇神などといわれたティアルの化身ははシグのはずなのだが。
 あまりのシグのびびり様に、セヴィはため息を話の続きをする。
「囚人は一ヶ所に集められて管理される。つまり共同生活だな。俺はそこで問題を起こして……」
「ああ、やりそうだもんな」
 笑顔で同意するとギロリと睨まれた。無言のオーラが、これ以上喋ると殺すといっているようで、シグは慌てて口をつぐむ。
 何せ相手は殺人罪で捕まった囚人だ。
「とにかく、十人を半殺しにしたら牢屋を追い出されて、今度は奴隷になった。奴隷っていうのは……」
「思い出した!領主の召使みたいなもんだろ。金で買えるんだ」
 どうせ知らないだろうと、注釈を入れようとしたセヴィを見て、ふとシグは思い出したことを誇らしげに叫ぶ。
「……確かにそうとも言えるが、金で買える物みたいな人間だ、俺はどうやらここの領主に買われたらしい」
(あれ、でもなんで俺奴隷なんて言葉知ってるんだ?) 
 なんだか大事な事のような気がする。しかも最近聞いた気がする。
「……あ?」

 思い出すのは昨日の光景。
『ああ、三日前に奴隷が逃げて……砂漠に逃げないように見張ってるんだ。船着場は他の島に行く船の出航を見合わせてるしな』
『ドレイ?』
『カリアム、いや領主の召使みたいなもんだな。金を払って買うから、逃げられたらまずいんだよ』
『はあ、あの領主の……』
『逃げた奴隷が、何かすっげぇ綺麗な男らしいから、見つけたらよろしくな』
『おう、任せとけ』

 そこまで思い出して、目の前の男と、門番の話が一本に繋がる。
「アンタ奴隷だろ!綺麗な男が領主に買われたって、おっさん探してたぞ。こんな所にいていいのかよ」
 禁句を言ってしまった時がついたのは、セヴィに指差しながら叫んだ後だった。さっきよりも早くソファから飛びのくと、セヴィの拳が鼻先をかする。
「危ないだろ!」
「外したか……。まぁ、お前もなんか事情を知ってるらしいな。俺は逃げてきたんだ、だからこんな所にいる」
「いいのかよ、勝手に逃げて」
 当然の事を今更聞くシグに、セヴィはため息をつく。
「悪い。だから追われている。ついでにお前もな」
 のんきにセヴィの拳がかすった鼻の頭をこすっていたシグは、そのまま固まった。
「宿の話の続きだ。お前は逃げた奴隷を匿って、しかも今現在一緒に逃げて隠れている」
「そんな、知らなかったんだし。アンタも領主に捕まっとけよ」
「寝言は寝て言え。元はといえば、俺は無実なのに囚人になった事から始まってるんだ。奴隷になる理由は無い」
 確かにそうなのだが、なんだか釈然としないものがある。人助けしたつもりが、えらい事に巻き込まれたのだ。
「巻き込むつもりは無かった。すまないな」
「うっ」
「……なんだ、変な顔をして」
「アンタ、謝罪の言葉なんて知ってたんだな、って何だその拳は!」
 失言だと思っても後の祭、思った事をポロリとこぼす口をシグは恨めしく思う。
「死にたいらしいな」
 今まで不機嫌そうだったセヴィの顔から表情が抜け落ちる。彼は無表情で、指をバキボキと不吉な鳴らす。シグの背中に冷たい汗が流れる。
「じょ、冗談です。すいません……」
「笑えんな」
 本当は冗談じゃないし、とつっこみを心の中にとどめておきつつ、首を縦に振る。呆れたようにセヴィは嘆息すると、ソファに座りなおす。
「それに、街の人が話してるのを聞いたんだが連れて来られた奴隷は、毎年殺されてるらしい」
「殺されてるって、それなら何で奴隷なんて。必要ないだろ」
「俺に言われてもな。だが、ここの領主、あまりよくないらしい。ここに来て四日だが、聞くのは文句ばかりだ」
 確かにカリアムのいい噂を聞いた事は無い。それどころか、ティアにまで伝わる悪人ぶりだ。それに、ティアにもカリアムに対する恨みはある。
「確かに、悪い噂しか聞かないけど」
「祭でどうこう言っていたな。奴隷も皆綺麗どころだったし、待遇も奴隷の扱いとしてはいいほうだ。何かあるんじゃないのか」
「祭?ティア祭か……でも人間殺すような祭じゃないぞ」
 ティア族の祭は初日に神殿まで行き、作った物を奉納し、それに火をかけるのだ。それから一週間後に神殿に行き、残った灰を砂漠に撒いて終わりだ。
 アマラの祭は知らないが、ティアの祭の派生だ、大した違いはないだろう。 
「まあ、考えても埒があかない。夜になったらお前は砂漠に帰れ。夜なら番兵もいない」
 それは確認済みだった。何故か夜中には番兵がいないのだが、さすがに土地勘もなく砂漠に出るような愚かな真似はセヴィにはできなかった。
「やだよ、夜の砂漠は魔物が徘徊してて危険なんだから」
 夜一人で砂漠にいるのは自殺行為だ。シグも成人の儀で一度体験したが、速い魔物だと振り切るのに夜明けまで走り続けていたのだ。魔物との追いかけっこはほとんど根競べだ、体力がなくなったほうが負ける。
 あんな思いはもうしたくない。
「いずれはここにも人が来る。よくわからんが俺は執拗に追われてるからな。お前も捕まるぞ」
「アンタは、どうすんだよ」
「お前には関係ない」
 思った通りの返答にうんざりする。
「関係大有りだよ、こんな事に巻き込まれて、どうせアンタはここに残るんだろ。俺がそんなことさせると思ったか!」
 堂々宣言すると、思い切り嫌そうな顔をされる。それでもセヴィは何か考え込み、諦めたようにため息をつく。
「何故そんなにお節介を焼く」
「何故とか言われても、一回助けたのに、放って行くなんて寝覚めが悪いだろ」
 セヴィはシグの顔を凝視する。まるで値踏みするかのような視線だ。
「二つだ」
「は?」
「借り二つ。不本意だが助けてもらった事と、巻き込んだので借り二つ。いつか返すからな、それがついていく条件だ」
「はあ、変な事にこだわるな」
 そんな理由でセヴィが意固地になっていたのかと思うと、一気に脱力する。どうもこの人間は、何を考えているのかわからない。
「価値観の違いだ。俺にとっては自分の命ぐらいに重大な事だ」
「まあ、そうかもしれないけどさ。でも、夜の砂漠は危険だしアンタがティアの集落に付くまでに日が昇る可能性だってある。それでもいくのか?」
「魔物にあったら、俺を置いていけ。お前は足だけは速そうだし、俺は魔物の餌ぐらいにはなる」
「だから!俺が今更見捨てていくと思ってるのかよ、いいかげんにしろよ」
 言い終わった後にまた怒らせるような発言をしたと、慌てて飛びのくがセヴィは何もしてこない。ただ不思議そうな表情でシグを見ている。なんとも拍子抜けだ。
「と、とにかくだ。夜までここで過ごして砂漠に行く、でいいんだよな」
「ああ」
 どうでもよさそうにセヴィが頷き、そこで会話が途切れる。
「……」
「…………」
「………………」
 会話が無くなる。考えてみれば会ったばかりなのだ。昨日の夜に会い、話をしたのは昼過ぎが最初だ。
 会話がないのが気詰まりのシグは、何かないかと話のネタを探す。
「アンタ祭り終わったらどうするんだ」
「なんだ、いきなり」
 沈黙が気まずいのだとは、まったく気まずそうにしていない無神経なこの男には言えない。
「別に、気になったから聞いてみただけだよ」
「あまり先のことは考えていない。無事祭りが終わるかもあやしいからな。まあ……そうだな、とりあえずこんな島からは出ていく」
 この島から出るには、必ず船に乗るのだ。港でいつも見かける巨大な塊を思い出す。あんなものが浮かぶなど、シグにはものすごい驚きだった。
「船に乗るのか?」
「そうだ」
「本当に海の上を走るのか?速いのか?沈まない?」
 矢継ぎ早に質問を浴びせると、セヴィは肩をすくめて答える。
「船もたまに沈む、嵐に遭うとな。速いかどうかは知らん。船なんかあんなもんだろ。お前、乗った事ないのか?」
「外に出た事ないし。ここ以外にも人が住んでるんだろ」
 ティア族は砂漠でずっと暮らしている閉鎖的な民族だ。アマラともあまり関わりを持たない。しかしシグは港に停泊する船や、外の人間に興味があった。只それだけが、彼が何度もアマラに訪れる理由でもある。
「そうか。あまり楽しいところではないぞ、俺みたいに騙されて泣きをみるやつも多い」
「ティアみたいなやつもいるのか?」
 彼の話に、シグはワクワクする。考えてみれば、今までティア以外の人間と、こんな会話をしたことなどないのだ。
「お前みたいなのは初めて見た。だが、もっと変なのもいる。翼の生えたのもいるし、半分獣みたいなのもいる」
「すごいな!」
 外は予想以上に広い。それから先はセヴィに外の話をせがんだ。初めて聞く話の全てが新鮮だった。




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