貸しと借り-二話-


 ティア族はアマラから離れた砂漠を転々と移動する砂漠に住む種族だ。普段はアマラには近づかないのだがティア祭が近づくと同時にアマラ近辺に集落を移す。
 というのも、ティア族も同時期にティア祭という祭を行うからだ。ティア族の神であり、母であり、父であるティアルに感謝を捧げる祭だ。
 この頃になると、年に一度の祭は盛大に行われるため、普段は近づかないアマラに買出しに行くためにもアマラの近くにいく必要があるのだ。
 いくら近いといっても走る速さに長けたティア族が走って半日の距離だ。慣れない人間がアマラから集落に歩いて移動しようものなら、砂漠と気候のせいで一日以上は絶対掛かる。
 それは、ティアの集落を訪れるのなら、魔物が跋扈する夜まで砂漠で過ごす事を意味し、すなわち死を意味するものだ。夜の砂漠はあまりにも危険だ。
 そうやって、ティアはアマラからの侵略を受けずに生活している。
「シグ、メクが呼んでる!」
 シグは呼ばれて、名ばかりのテントである布の山から顔を出す。見れば少し離れたところでシェイが手を振っている。
 シェイは、シグと同じティア族の仲間である。ティアに結婚、親と子、という概念はなく、全てが一つの家族と言う認識を持っている。彼女はシグよりも年上なので、彼は姉だと慕っている。
 一つ伸びをして、テントからはいでる。刺すような太陽の下に出た。
「今年もシグかもね、アマラに買出しは」
「だろうな、あと一ヶ月きったし。俺は準備終わってすらいないのに」
「それはシグのせいよ。もうみんな最後の仕上げに入るころだよ」
 シェイと二人、並んで歩きながらちょうど去年のことを思い出す。前もって準備とか、計画を立てるとか、そんな言葉が嫌いなシグにとってみれば祭の装飾やら、奉納品が出来ていないのは不可抗力だ。
 去年は二、三個足りない状態で祭りに臨み、メクに後でこってり絞られたのだ。かといって今年は改善するかといわれれば、そんなことはありえない。買い出しを理由にして、めんどうな作業をサボる予定だ。
「私もアマラに行きたいな。ちょうどむこうも祭やってるんでしょ?」
「毎年市場は盛り上がっているな」
 それと同時に、最近では街中に不穏な空気は流れているのだが、そんなこと聞きたくないだろうと当り障りのないこという。
 シェイを始め、アマラに行った事のない者は多かれ少なかれアマラに幻想を抱いている。
 実際に行った者は二度目からは行こうとはしない。
「シェイは走るの遅いから買いだし任されることはないんじゃねーの」
誰が行く、と決まっているわけではないが大抵は足の速いものだ。シェイは、ティアの中では遅い方だ。くらべてシグは一番速い。
「シグが速すぎるんだよ。成人の儀だって異例の速さだったしさ、アマラから神殿まで一日半で帰ってくるなんて」
 ティア族は年頃になると成人の儀を行う。一人でアマラに入る手前の門と、砂漠にある神殿とを往復するというものだ。五日のうちに戻って来れば成人として認められる。儀の間は魔物に遭遇すると逃げ切らなければいけない。
 大抵はそのせいで最短の道を逸れて四日かかる。シグの前の最短記録は三日だ、この記録は運良く魔物に会わなかった者の記録だ。
 シェイなど、何度か挑戦して去年やっと成人の儀を終わらせたのだ。
「おかげでいい使いっ走りだけどな。しかもメクに目の敵にされてる気がするし」
「毛嫌いしないの、そんな事言ってるのシグだけだよ」
「嫌なものは嫌なんだよ。絶対嫌われてる。自信あるね」
 言って、メクの皺だらけの顔を思い出す。シグに対する態度が、他のものと違うのだ。
「そう言ってもね、私はメクに世話になってたし。そんなのに自信あってもねぇ」
 集落の中央にメクのテントはある。シグのテントは一番端にあるので会うことは少ないのだが狭い集落だ、会わないはずがない。どうも嫌われている節は幼いころからあったのだが、最近は確信に変わってきている。
「神の眼か……」
 誰ともなしに呟いたシェイの言葉に返事はせず、シグはメクのテントに入った。
 シグのものとは比べ物にならないぐらい立派なテントだが、何時もの事ながら気詰まりな空気が流れている。
「……人のテントに入るのに、挨拶もなしかい?まったく、礼儀知らずに育ったもんだよ」
 ギロリ、と澱んだ琥珀色の眼がシグを見る。
「何の用だよ。俺は説教聞きに来たんじゃない」
「年寄りの小言にそう怒るな。この時期にお前に用など、一つしかあるまい。毎年恒例の買出しだ、今年も頼むぞ」
 そう言うと、メクは手に持っていた袋をシグに手渡す。彼は黙ってその袋を受け取った。中には砂金が入っていて、これをアマラで金に替えるのだ。
 彼の気分を表すかのように、砂金の入った袋は、ずしりと手に重い。他のティア同様、シグもアマラがあまり好きではない。嫌な思い出があるのだ。
「袋の中に、買い出しのリストが入っている。アマラに長居はするなよ」
「言われなくてもわかっている。遅くても、明日の昼までには帰る」
「アマラ近辺への移動は明日の昼過ぎだ。それまでには戻れ」
「ああ」
 もらった金を、腰におちないように括り付ける。いざ行かん、とテントから出ようとしたところを、メクが止める。
「シグ、祈りの言葉を」
 また始まった、とため息をつく。シグは別にティアルを軽く扱っているわけではないのだが、この老婆は事あるごとに信仰を押し付けてくるのだ。
「……慈しみ深き我らが神、ティアルよ。我が旅路に祝福あれ」
 大幅に簡略化した祈りの言葉を吐きつけて、そのままテントから走り出す。メクが後ろで騒いでいたが、そんなのは無視だ。
 飛び出してきたシグに驚いたシェイの目の前を横切り、テントの合間を縫って走る。
 足に触れる砂の感触が気持ちいい。蹴り上げる度に景色が流れていく。
「この分だと、昼過ぎにはアマラにつきそうだな」
 しかしシグは知らなかった。外では蛇神、などと呼ばれているティアルの祝福がどんなろくでもないものであるかなど。


 薄暗い路地裏に青年はいた。逃げ出して三日が経っていたが、賞金までかけられたせいで、表を歩くと追い掛け回される羽目になったのだ。
 元々目立つ顔立ちだが、奴隷の服で、手錠の輪を嵌めたまま堂々と歩くのも目立つ。どこにいても悪目立ちするのだと、青年はため息をつく。
 さらにここ三日はろくに物を食べていない。否、船に乗っている時、その前の牢からして、まともな食料など口にしていないのだ。そして砂漠に近いこの地方はただでさえ熱い。それに加えて、逃げ続けの日々だ。
 疲れ切っていた、しかし今倒れると捕まるという思いだけが、青年を立たせていた。
(奴隷など、ごめんだ。まだ犯罪者の方がマシだ)
 白い腕に、一際目立つ罪人の証である黒い焼印とそれに並んだ奴隷の証である焼印を見ながら、もう一度ため息をついた。


 シグがアマラについたのは、太陽がほぼ真上に来た頃だ。
 年に数えるほどしか訪れないアマラだが、何度見ても砂漠と街をつなぐ唯一の門は物々しいものがある。
 ティアの若者は誰しも一度はアマラに憧れる。シグがアマラに行くようになる前は、毎年入れ替わるようにティアの若者がアマラへ買出しへと走ったのだ。
 しかし、二度行こうとするものはいない。皆、痛い目を見て帰ってくるのだ。他人を貶めて利益を貪る人々にとって、そんな人間とは無縁のティアはいいカモだ。
 全てがそういう人間ではないのだが、ティアを幻滅させるには十分な人数がアマラにいる。
 何よりティアの容姿は、人の姿をしているものの、アマラの人々から見れば異端だ。
 砂嵐の中でも耐えれる目は爬虫類のもので、速く走ることを目的とした体は、常人よりかなり細い。
 髪の色も白に近かった。白髪に近いほど、ティアルの加護が強いとされている。シグの髪は、見事な白髪だ。
 熱砂を素足で走るので、足の皮も進化した。刺すような日にあたり続けた肌は黒い。その中で、琥珀色の光を放つ目だ。
 それに加え、ティアルの一部といわれるものにより、シェイの右手は鱗に覆われ、シグは頼んでもいないのに神の目がある。
 そのせいで一目でティアとわかる。その割に金を持っているのだ。シグも騙されかけたが、なんとなく嫌な予感がして、脱兎の如く逃げ出したのだ。
 昔から、その手の第六感ともいえる感覚には自信があった。
 頭に溜まった砂を払い、額のバンダナを締めなおす。
 門のところには、いつもやる気のない門番が二人いるのだが、今日はピリピリした兵士が十人もいる。
(何かあったのか?)
 出入りを規制しているなら面倒だな、と考えながら知っている顔を捜す。ここ数年アマラに出入りしていると、門番にも顔見知りができたのだ。
「あ、オッサン!」
 見知った顔を見つけて、シグは手を振りながら駆け寄る。むこうも、シグに気づいて手を振り返す。
「久しぶりだな、また今年も買い出しか?」
「そうだよ、めんどくさい。また一人で当日祭の準備するんだ」
「ここ最近、お前しかこないよな」
「みんなアマラで痛い目に遭うから。一回来たらもういいんだ。それより、何かあるのか、こんなにいっぱい」
 くい、ッとあごで兵たちを指すと、門番は頷く。
「ああ、三日前に奴隷が逃げて……砂漠に逃げないように見張ってるんだ。船着場は島の外に行く船の出航を見合わせてるしな」
「ドレイ?」
 聞きなれない言葉だ。おうむ返しに聞き返すと、男は困ったような顔をして言いなおす。
「カリアム、いや領主様の召使みたいなもんだな。金を払って買うから、逃げられたらまずいんだよ」
「はあ、あの領主の……」
 カリアムのいい噂はあまり聞かない。数年前は、まだまともだったらしいが、今ではすっかり暴君と化しているらしい。
 本国の眼が届かない辺境の島だから、何をやっていても問題ないのだろうが、アマラの住人の評判は当たり前に悪い。それに、ティアも毛嫌いしている。
 ティア祭に人身御供をしている、という噂はシグは知らなかった。
「逃げた奴隷が、何かすっげぇ綺麗な男らしいから、見つけたらよろしくな」
「おう、任せとけ」
 適当に挨拶して別れると、シグはそのまま門を通る。
 男は、ティアが一人入った。と他の兵に言ってから書類に書き込んでいる。
 シグはメクからもらった買出し一覧の紙を見て、思わず呻き声をあげる。彼は走るのは速いが、力は常人並みだ。荷物の量を考えると気分が重い。
「帰りは明日になりそうだな」
 ため息と同時に、吐き出すように呟いてにぎわう港町へと足を踏み入れた。
 夜の砂漠は危険だ。いくら足が速いといえど、荷物を持つと遅くなる、魔物が起き、活動する時間に一人で砂漠を歩くのは自殺行為ともいえる。
 ティアでさえ、成人の儀以外は皆集団で行動する。
 買出しをほとんど終わらせて、シグは空を見上げる。夕焼け時であるが、今からアマラを出ると、集落につくのは夜中だ。
 予想通り、帰るのは明日となった。
 諦めて、毎回お決まりの宿へ向かうことにした。ティアはあまりアマラでは歓迎されないのだ。今泊まる場所は、数少ない、ティアに良心的な宿だ。
 ティアに良心的、と言うよりもならず者の集まりでもある。わけありが泊まる宿だ、場所もスラムまがいの所にある。
 ふと、宿の手前で何かの気配を感じて振り返る。暗い裏道が、雑然と置かれた壊れた椅子やテーブルでふさがれてあるだけで、他には何もない。
 しかし、シグの感覚が外れたことなどないのだ。何かある告げている。嫌な予感がしないので、彼は危険ではないと判断し、道を塞ぐ椅子や机を軽く飛び越えて道へと入る。
(なんだ、あれ)
 夜目は利くほうだ。薄闇の中で琥珀色に光るシグの眼が捕らえたのは、金色の物体だ。よくみると、人間の頭に見えないこともない。
「おい、生きてるか?」
 しゃがみこんでつついてみると、金色の頭はかすかに動く。
「大丈夫かよ、って!」
 いきなりものすごい速さのものがシグの鼻先を掠める。とっさに下がらなければ、顔面にめり込んでいたであろう拳が目の前にある。
 自分の反射神経に感謝しつつ、再び倒れていたはずの人間を見ると、青い瞳に暗い光を宿し、シグをしっかりと見据えていた。
 今まで感じたことのない殺気に、足が竦む。凶悪な魔物から発せられる、必殺の気が、その人間からはする。
「あっちに、行ってろ」
 絞出すような、かすれた声が耳に届く、弱っているのは明らかだった。
 そしてその青い瞳が閉じられたかと思うと、その場に力なく倒れ込む。
「おい、大丈夫かよ!」
 慌てて駆け寄ると、今度こそピクリともせずに横たわっている。体がかすかに上下しているところを見ると、死んだわけではないらしい。
 シグの体から変な力が抜け、その場に座り込む。手には嫌な汗をかいている。危険な人間だが、死にかけている者をそのまま放っておけるほど、無神経にはできていなかった。
 顔を覗き込むと、関わるな、といわんばかりに睨みつけられる。意識はあるらしい。綺麗な顔の人間だが、性格は悪そうだ。などと失礼な感想を持つ。
「宿に連れて行くぞ。すぐそこだから」
 何か言いたそうにしていたが、無視してそのまま抱き上げようとする。しかし、予想外に重い上、シグはあまり力がない。
「……、放っておけ」
「やだよ、このまま死なれたら寝覚めが悪いし、そう言われると俄然やる気になる」
 今度は背負おうとするが、やはり重い。背中半ばに乗せた辺りで、シグはあえなくつぶれた。
 諦めて引きずるようにして引っぱると、今度は動いた。青年は嫌そうな顔をしていたがそんなのはおかまいなしだ。
「……、自分で歩く。肩を貸せ」
 お節介め、とかすれた声が聞こえたが、聞こえない振りをして、青年に肩を貸してそのまま宿に入る。
「一泊、二人部屋一つよろしく」
 宿屋の主人は無愛想に部屋のかぎを渡す。ろくでもない宿は、こんな時は便利だな、と思いながらシグは指定された金を払う。
 よりにもよって重い荷物を担ぎ二階に止まる羽目になり、階段を昇りきり何とか部屋に入ると、青年はベッドに倒れ込む。
「水か食い物持ってくるか?」
「水、頼む」
 よけいなことを、といわんばかりに睨みつけられる。それが頼んでいる態度かと、文句のひとつを言ってやりたかったが、しぶしぶと備え付けの水を取りに行く。
「はい、水」
 相当咽が渇いていたのか、一気に飲み干すと更によこせといわんばかりに、コップを突き出してくる。
 満足するまで飲むと、変な青年はそのままベッドに倒れ込んで眠り込んでしまう。
「……何なんだ、こいつ」
 今更だが、拾ってきたことを後悔する。やたらと偉そうで、無愛想で、とにかく気に入らない。別に感謝してほしくて、助けたわけではないのだが、礼のひとつぐらいしてもいいだろう。
 よくよく明かりの下で見てみれば、白いボロ布を纏っただけで、砂にまみれている。
 しかし、その顔は綺麗に整っている。ティア以外の人間を、こんな間近で観察するのは初めてだが今まで会った人間より、ずっと綺麗だ。
 手首には、鉄の環がしてある。他の人間がしている装飾にしては変なものだとはシグにもわかった。鎖らしきものが引き千切れたように少しだけついている。
「なんだかなぁ」
 もしかしたら、面倒なことに首を突っ込んだのかもしれない、と憂鬱になる。
(明日聞いてみればいいか。まあ、素直に答えてくれなさそうだけど)
 欠伸をひとつすると、シグは昏々と眠る青年の隣のベッドにもぐりこんだ。



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