貸しと借り-九話-


とっぷりと日が暮れた頃、シグは砂漠から這い出る。以前、シグとセヴィが砂漠に逃走した星だろう、もんの詰め所からはぼんやりと明かりが漏れている。門番には一人、眠そうな男が立っているだけだ。
 シグは目立つ白髪を、フードで隠すと門に張り付く。この時間まで見張っていたが、夜の交代は詰め所に呼びに行くため誰もいない時間があるのだ。さして長い時間ではないが、シグの足で走り抜けるには充分すぎる時間だ。
 七つの鐘の音がなり、門番はめんどくさそうに詰め所のほうへと向かっていく。それを見計らいシグは全速力で駆け出す。
「……っ」
 中央の通りの前まで来て、誰も追ってこないのを確認し、シグは息をつく。
(とりあえず、セヴィを探さないとな)
 神の眼を使えばすぐ、とまではいかないが見つけるのはそう難しくはない。しかし神の眼を使うには場所が問題だ。公衆の面前にさらけ出せば、三つ目の人間の扱いなどシグでもすぐわかる。
 夜ともなれば人通りが少ないが、やはりそこに突っ立っていれば嫌でも目立つ。シグはいつもの宿に向かう事にした。
 
 部屋に入り、かぎを確認して窓の外も確認する。以前のように、兵に囲まれるのはもう勘弁して欲しい。ティア、とばれればそれだけで捕まりそうだ。
 シグは窓際に座ってフードをおろし、バンダナを取る。
 神の眼を使うのは久しぶりだ。深呼吸を繰り返し、シグは双眸を閉じる。神の眼に、第三の眼に集中した。
(もっと、もっと遠くを……)
 シグの視界は宿屋の一室から外へと出る。もっと遠くから、あのセヴィの強烈な力を探すのだ。遠く、遠くと想っていると視界はアマラの町全体へと変わる。
 ゾワリ、と寒気がした。
 強烈で、何か絶対的な“悪≠感じてシグは身震いする。黒い、黒い霧のようなものが出ている。そこに集中していくと、カリアム邸が克明に見える。段々と黒い霧は色濃くなる。
(カリ……アム?)
 直接見たことはないが、カリアム邸の塔の上で、一人佇む男がいる。おそらくカリアムだろう。そしてこの黒い霧の原因でもある。
 黒い霧は、カリアムを包み込むようにして存在している。カリアムの視線が、こちらに向いたような気がしてシグは神の眼を閉じた。
 戻ってきた視界は、確かにさっきまでいた部屋の中のもので。ひどく震えていたシグは己の肩を抱く。
「あ、れが……ディゾル?」
 だとしたら恐ろしすぎる。それを封印するのがティアの役目、否、シグの役目だというのならあまりにも荷が重い。
 今まで見た、人に掬う心の魔物の中で一番凶悪なものだ。
「違う、今はセヴィを探さないと……」
 震える己を叱咤しながら、もう一度神の眼を開く。セヴィのイメージを探すのだ。
(強くて、綺麗で……一緒にいたら安心する)
 暗闇の中に光る、唯一の光りのように。それにシグは集中する。周りの景色が鮮明になっていく、アマラの酒場のたくさんある通りだ。
(いた!)
 路地裏に身を潜めているセヴィを見つける。この近くであることには違いない。人通りが少なくなるのを見計らって、セヴィは目的地へと密かに進んでいるようだ。
 その速度はあまり速くない。今から探しに行けば、まだその近辺に居るだろう。
 シグは神の眼を閉じ、バンダナを結びなおす。窓の下に誰も居ないのを見計らって、外に身を躍らせた。

 シグがその場所へと着いた時、セヴィはまだそこにいた。シグの姿を見ると一瞬、驚いたように眼を見開き、次いでため息をこれ見よがしにつく。
「何の用だ」
 さもうんざりしたような口調と、今まで見たこともないような冷たい視線にたじろきながらもシグは問う。
「シェイは、どうしたんだ」
「どうしたも何も、カリアムの私兵はティアを一人連れて帰ってきた。という話は聞いただろう。それに、奴隷がまた逃げたとも」
「聞いたけど、あんなの信じられるはずないだろ。アンタはそんな奴じゃないって」
 セヴィは、皮肉ったように笑う。今まで見た笑顔と決定的に違う。シグの愚かさを、笑っていた。
「言っただろ、俺はそんな綺麗な人間じゃない。それに、お前に借りは返した。命は助けてやったのだから」
「っ、シェイは……」
「カリアムのところだ、わかりきった事を聞くな」
 握り締めた、シグの手が震え出す。信じたくはなかった。セヴィの話を聞いた時だって、信じてなどいなかった。しかし、かれは本気だ。
 確かに、セヴィは捕まったはずなのに目の前にいる。
「俺は知り合いを見つけたから、船に乗せてもらう手筈を整えてもらう。お前と話している余裕は、あまりない」
「アンタは、そうやってこの島を出て行くのかよ。俺もシェイも、どうでもいいのかよ」
「借りを返した今、どうでもいいことだ」
 頭に血が上る。セヴィのことは、いけ好かない奴だとは思っていたが嫌いではなかった。信頼もしていた。シグは裏切られたと思い、すぐにその考えを否定した。
 信頼関係など、最初なかったのだ。
 気がつけば、セヴィの頬を思い切り殴っていた。報復だとか、そんなことは頭にはなかった。ただ、目の前の男に腹が立っていた。
「満足か」
 セヴィの身体能力を考えると避けられないものではなかった。わざと殴られたのだろう、それが更に腹立たしい。
「アンタ、見損なったよ」
 シグはそう言い捨てると、セヴィに背を向けて走り出す。残されたセヴィが小さな謝罪と共に、赤くなった頬をなでた事は知る由もなかった。


 あっという間に遠ざかるシグの背を見送り、セヴィは辺りに人が居ない事を確認すると、当初の目的だった怪しげな酒場へと入る。
 まだ夕方だと言うのに混んでいる酒場の喧騒が、ピタリと止みセヴィに視線が集まる。その好奇の視線一つが、彼の神経を逆なでする。手錠、足枷、罪人と奴隷である事の焼印。当たり前のように目立つ。
(嫌な事の後は、気が立つものだ)
 八つ当たりのような苛立ちだが、今のセヴィに押さえるのは難しい。泣きそうなシグの顔が、頭から離れない。
「店主、ギルドの仲介人は誰がいる、できれば外から来た人間がいい」
 店主は、一瞬目を見開く。両手両足に拘束を受けた、一見して犯罪者風のセヴィが、まさか依頼を持ってくるとは思わなかったのだ。
 彼は棚から客の名簿を取り出すと、セヴィに渡す。セヴィは不自由な両手でそれを受け取ると重い足を引きずり椅子に座る。
 今日の日付のページを開き、知っている名を探す。
 一度仕事をしている人間の方が、裏切られる可能性も低い。
 名前の羅列をたどると、知っている名を見つける。
「……オルフェ……シェルカン、こいつはどこにいる」
 オルフェは昔仕事を仲介してもらった事がある。中年の冴えない男だが、仕事は確実だし、それなりに信頼もできた。
「二階の奥だ。気をつけなよ、二階は性質が悪いのがたむろしている」
「フン、不要な心配だ。心配するなら、この店の被害でも心配していろ。俺は今気が立っている。馬鹿な輩に手加減できる自信はない」
 不躾にセヴィを見る視線を断ち切るように椅子から立ち上がる。胃の辺りが、何ともいえずむかむかする。何でもいいから破壊したいような、衝動が沸き起こる。
「おい、アンタ名前は?仕事の依頼だろ、一応登録する決まりだ」
 勝手に二階に上ろうと、階段に脚をかけたセヴィに声がかかる。うんざりしながらため息をついたが、ギルドの決まりは一応決まりだ。セヴィも、そこに属している以上決まりを破るわけにも行かない。
「セラヴィーナ……ローセン」
 もっとも嫌いな自分の本名を告げる。ギルドに登録する再に、不慣れで本名を登録したのがそもそもの誤りだ。
 親のことは嫌いではなかったが、いくら女の子が欲しかったとはいえ、自分の息子に女の名前を付けるのはどうかと思う。
 彼の容姿もあいまって、幼少のころに性格が曲がったのは、ひとえにこの名前のせいだろう。
 セヴィのその一言に水を打ったように静まり返った酒場に、舌打ちしながら二階へと向かった。
 二階は一階とまったく雰囲気が違う。大抵ギルド経営の酒場というのは二階建てで、一階が冒険者専用で、二階が賞金稼ぎが多い。裏家業とでも言おうか、とにかく荒くれ者が多い。
 階段を上りきって姿を見せたセヴィに一斉に歓声が上がる。
「よお!ご主人探してるなら俺があんたを買ってやるぜ」
「こっち来て一緒に飲もうぜ」
「こんな所に一人で来るなんて危ないって」
 下品な笑いと共に、そんな言葉をかけられる。いつもの事だ。この容姿で賞金稼ぎをやってきたのだから、いつも同じ反応だ。相手にするのも煩わしいので、セヴィは無視する事にしている。
 しかし、今は無視できるような気分ではなかった。セヴィの顔から、スッと表情が抜け落ちる。
「お、なんだ?相手してくれるのか」
 ニヤニヤとした笑みが気に入らない。自分に向けられる好奇の目が気に入らない。酒くさい息も全て全て苛立ちの対象だ。
「ああ、俺も今、相手が欲しいところだ」
 セヴィは無表情で言うと同時に蹴りを飛ばす。鉄球が男の顔にあたり、セヴィの足が、肩に入る。男は後ろの男を巻き込みながら悲鳴を上げて吹っ飛んでいく。
 セヴィはその末路を見ずに、奥を目指す。一瞬静まり返っていた酒場は、喧騒を取り戻す。ケンカは日常茶飯事だ、あまり気にするものはいない。
 奥まった所に、数人の男達の集団からはずれた所に、一人で飲んでいる色あせた茶色の頭を見つけると、セヴィは近づく。
「おい、仕事だ」
 男はなんだ、と酒を飲みながら振り返ると、その状態で固まる。
「セ、セラ、セラヴィーナ!」
 オルフェは飲みかけた酒を噴出しながら椅子から転げ落ちる。他の客の視線を集めていたが、セヴィは気にせずオルフェの胸倉を掴む。
「その名を呼んで、死にたいか」
 オルフェはセヴィへの禁句事項を思い出し、乾いた笑いを漏らす。
「スマン、どうかしたのかセヴィ」
「……仕事の依頼だ」
 しかし、その言葉はオルフェの耳には入らなかったらしく、上から下までセヴィの姿を何度も見直す。
「お前、どうしたんだその格好」
「……そんなことはどうでもいい」
「それにお前、アケの牢獄に伯母さん殺しては言ってるって噂じゃないか」
「……」
「おっと、睨んでも無駄だぜ。今のあんたにゃ負ける気が……っ」
 しない、と続けようとしたオルフェは思わず酒の入っていたグラスを取り落とす。彼の顔の横を何かが通り過ぎたと思ったら、ベキッとかバキッとか、なんともいえない破壊音を立ててセヴィの足についている鉄球が壁にめり込んでいる。
 オルフェは震えながらその破壊された壁から、ゆっくりとセヴィに視線をもどす。能面のような表情のないセヴィが口を開く。
「俺は、何度も同じことを言う気はないが。仕事の依頼だ」
 セヴィは言いながら、蹴り上げた足をゆっくりともどす。今度こそオルフェは頷いたのだった。



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